ロケットを作りたい

ふと思った。「ロケットを作りたい。そして、一度でいいから宇宙に行ってみたい」と。

もちろん、今の自分にはノウハウもなければ人脈もない。お金に余裕があるわけでもない。ただの一会社員だ。それでも、なぜかこの夢だけは頭の片隅から消えない。

ロケットを作って、自分が作ったそのロケットで宇宙を眺めてみたい。現実的に考えれば、途方もない話だと思う。

このまま何もせずに年を重ねるのは、たぶん違う。どこから始めればいいのかは正直わからないけれど、やれるところからやるしかない。

まずは情報収集。今日できる小さな一歩から、始めてみようと思う。

今日、誰かを幸せにできた?

乃木坂46・久保史緒里さんがパーソナリティを務める
乃木坂46オールナイトニッポン」最終回を聴いた。

番組が始まった頃は毎週のように聴いていたのに、いつの間にか聴かなくなってしまっていた。
それでも最終回だと知って、3年9か月ぶりにラジオを再生した。

当時の自分はフリーターで、実家に居候しながら将来が見えず、どこかで逃げていた。
そんな自分も今は会社員として一人暮らしをしている。
「あの頃から遠くまで来たんだな」と思うと、胸がじんわり熱くなった。

 

久保さんの歩き方に心を揺さぶられた

それ以上に心を動かされたのは、久保史緒里さんの歩んできた道だ。

自分より年下の彼女が、3年9か月もの間メインパーソナリティを務め、
乃木坂46として9年以上、第一線を走り続けてきた。
どれだけ大変な日があっても、しんどい瞬間があっても、
立ち止まらず、逃げず、努力し続けてきた人の声だった。

その姿に触れて、ふと自分を振り返った。

 

自分は、本気で生きているだろうか

命を削るくらい、がむしゃらに何かへ向かったことがあっただろうか。
恥ずかしいくらい夢中になった日があっただろうか。
なんとなく日々をやり過ごし、どこか自分中心で、
全力を出し切らずに誤魔化している瞬間が多い気がする。

本気で生きていると言えるだろうか。

 

できることからでいい。誰かを幸せにできる人でありたい

最終回のラジオを聴きながら思った。

誰かの笑顔や未来のために、自分の時間や力を使える人になりたい。
かっこよくなくていい。派手じゃなくてもいい。
それでも、本気で生きたい。

いきなり大きいことをしなくてもいい。
できることからでいい。
ひとつでも誰かを幸せにできたら、それを積み重ねていけばいい。

「今日、誰かを幸せにできた?」

石破茂氏が「戦後80年談話」を出す?個人的に感じる強い懸念

最近の報道で、石破茂が総理大臣在任中に「戦後80年談話」を発表する可能性があると耳にしました。
正直、この話には強い不安と危機感を覚えています。

戦後日本は長い間、「戦後教育」による自虐的な歴史観が広がってきたと感じています。
そこに加えて、一部の反日的な活動家や、日本の周辺国によるプロパガンダも少なからず影響を与えてきました。

そんな中で、安倍元総理が取り組んでいた「戦後レジームからの脱却」の流れが、
もし石破氏による80年談話で逆行してしまうのだとしたら、とても残念に思います。
せっかくの安倍総理の努力が水の泡になってしまうのではないか……という懸念もあります。

もちろん、歴史を振り返ること自体を表明すること自体は否定しません。
ただ、その伝え方次第で、日本が再び不当に貶められるような形になるのは避けてほしいと思っています。

今の日本とこれからの日本人を守るために、自分には何ができるのか——

また、石破を止める方法はないのか——
そんなことを考えさせられるニュースでした。

誇りある日本を守るために、私たちが今考えるべきこと

私は軍国主義者ではありません。しかし、日本人である以上、日本という国――領土・領海・領空・主権、そして国民の安全――を第一に考えるのは当然のことだと思います。

ところが、今の日本を取り巻く環境を見ていると、強い危機感を覚えずにはいられません。周辺国の軍拡や領海侵犯、国内に入り込む治安リスク。さらに、日本の文化やルール、歴史や慣習を軽視し、好き勝手に振る舞う人々がいるのも事実です。こうした現実を前に、ただ「平和だから大丈夫」と楽観するのは、あまりに無責任ではないでしょうか。

国を守り、治安を維持するために尽力している方々への感謝を忘れてはいけません。そして同時に、国民の利益よりも自らの立場や利権を優先し、かえって国を弱体化させている政治家や官僚に対しては、厳しく声を上げる必要があると思います。

私は日本人であることに誇りを持っています。だからこそ、今の危うい現状を直視し、強い日本を取り戻したいと願っています。
「日本人でよかった」と誰もが胸を張って言える未来を守るために、私たちはもっと真剣に、日本の行く末を考えるべき時ではないでしょうか。

日本と向き合うお盆休み:戦後80年を考える

お盆休み、私は「日本」と向き合う時間にします

今週末から始まるお盆休み。帰省や旅行を計画されている方も多いと思います。
私も今年は旅行に出ますが、その行き先は広島の原爆ドーム東京の靖国神社です。

静かに手を合わせながら、今一度「日本という国」について、深く考えてみたいと思ったからです。


戦後80年、なお続く現実

戦後80年が経ちましたが、敗戦の記憶は風化させてはならないと感じています。あの戦争は多くの命とともに、日本の誇りや独立性をも奪った出来事でした。
広島や長崎での惨禍を経て、私たちは「二度と戦争を起こしてはならない」と誓いました。しかし同時に、次にもし戦いを強いられる時が来たならば、絶対に負けてはならない。そうした決意も、どこかに抱えておくべきだと思っています。

周辺国との緊張は現実のものです。北朝鮮のミサイル、中国の軍拡、台湾情勢、ロシアの侵攻……。日本を取り巻く安全保障環境は、かつてなく厳しくなっています。
にもかかわらず、現代の日本社会にはどこか「平和は当たり前」という空気が漂っているように思えてなりません。


忘れてはならない感謝と覚悟

靖国神社には、大東亜戦争(第2次世界大戦)をはじめ、この国のために命をかけた人たちが祀られています。
彼らの存在は、私たちがいまこうして日常を生きられる土台となっています。
そのことへの感謝と、彼らの想いを無駄にしないという覚悟を、あらためて自分の中に刻みたいのです。


未来を託せる国に

正直なところ、今の日本の政治や官僚制度、メディアの在り方には深い失望を感じています。
現場の声が届かず、既得権益と惰性で動く仕組み。
国民の生活や安全よりも、自身の地位や保身を優先するような姿勢が透けて見えるとき、怒りすら覚えます。

でも、ただ憂いていても何も変わらない。
だから私は、まずは自分自身ができることとして、過去と向き合い、今の現実を見つめ、未来への責任を意識する――そんな時間をこのお盆休みに持ちたいと思ったのです。


ただの「休み」ではなく、決意の旅へ

お盆休みは、先祖に手を合わせ、過去を思い出す大切な節目でもあります。
今年の私は、この時間を「日本の過去と未来を考える」をテーマに過ごすつもりです。

派手な旅行でも、誰かに誇れる特別な体験でもありません。
ただ、自分なりの敬意と覚悟を胸に、日本という国とまっすぐ向き合う数日間を過ごしたい。そう思っています。

日本はどこに向かうのか──腐敗と無関心の果てに

最近、本当に日本が危ういと感じることが多くなった。
政治、行政、メディア──どれをとっても、国民や国益を本気で考えているとは思えない。怒りと失望が、日に日に強まっている。


■ 利益誘導型政治と国民不在の政策

政治家たちは「国民の代表」のはずだが、実態はどうか?
自民党の裏金問題、公明党の癒着、野党の政権批判だけに終始する姿勢。いずれも、選挙のたびに耳触りの良い言葉を並べながら、当選後は自分たちの利権と党益の確保に終始している。

例えば、外国人労働者の受け入れ政策。技能実習制度の拡大、外国人留学生への住宅補助、地方自治体による母国語通訳の常設化など、「日本人ファースト」ではない施策がどんどん進められている。
一方、国民年金の実質支給額は年々減少し、2025年には高齢者の約2割が生活保護水準以下になるという試算(厚労省)もある。これは明確な逆差別だ。


■ 官僚組織の劣化と国益無視の行政

行政の現場では、官僚が自分のキャリアや省庁の利益を優先し、長期的な国益を顧みないケースが目立つ。
経産省財務省は、国際競争力強化をうたって企業に補助金をばらまいているが、肝心の中小企業や地方の製造業にはほとんど届いていない。形式的な審査で大企業に流れる予算は年々増え続け、実質的な産業の空洞化が止まらない。

経済産業省によると、2023年度の補助金交付総額は約4兆円。そのうち約7割が都市部の大企業に集中している。これでは地域格差も是正できず、国全体の底上げにはつながらない。


■ 報道機関の機能不全と国民の情報統制

オールドメディア──特に大手テレビ局や新聞は、もはや国民のための情報機関ではない。スポンサーや政権、あるいは特定のイデオロギーに偏った報道が多く、国民が正確な判断を下すための材料すら提供されていない。

2023年にはNHKの不祥事件数が過去最多となり、内部通報やパワハラ、制作費の使途不明などが次々に明るみに出た。にもかかわらず、受信料制度は存続したままだ。誰のための公共放送なのか、もはや疑問しかない。

そして、メディアに踊らされる形で、国民の多くが無関心を装う。「自分には関係ない」「政治の話は面倒」──そうやって現実から目を背けてきた結果が、今のこの国の体たらくだ。


■ 平和ボケという名の危機

ロシアのウクライナ侵攻、中国の台湾圧力、北朝鮮のミサイル。世界は明確に「有事」に向かっているにもかかわらず、日本人の多くは「平和が当たり前」だと信じて疑わない。

だが、事実として、日本の防衛費はGDP比わずか約1.3%(2022年度)。NATO諸国の2%にすら及ばず、憲法第9条の解釈改憲ばかりに時間を費やしてきた。
さらに、自衛官の採用数は年々減少し、2023年には定員の84%にまで落ち込んだ(防衛省調査)。これは、「志願者が足りない=危機感がない」ことの象徴だ。

戦争をしろと言いたいのではない。だが、「守る意思」すら希薄な国家が、国際社会でどこまで通用するのか。現実と向き合う時期に来ている。


■ 絶望ではなく、再生への一歩を

腐敗した政治、歪んだ行政、信頼を失ったメディア、そして無関心な国民。
このままでは、日本は本当に取り返しのつかないところまで堕ちてしまう。

しかし、希望がまったくないわけではない。SNSを中心に個人が発信し、事実を共有し、議論する土壌が少しずつ広がっている。利権や既得権益ではなく、「日本をどうするか」を本気で考える層も確実に存在する。

私は、今こそ「富国強兵」の原点に立ち返るべきだと考える。
それは軍拡ではない。国民の精神的独立と、経済・文化の再興だ。
日本人が日本人として誇りを持ち、自国の未来を真剣に考える。そうした意識の再構築が必要だ。

一人ひとりが「自分ごと」として危機を認識し、声を上げること。そこからしか、本当の再生は始まらない。

『歩く マジで人生が変わる習慣』を読んで考えた「靴と健康」のこと

今日は一日休日を利用して、池田光史さんの著書**『歩く マジで人生が変わる習慣』**を読みました。この本を読んで一番強く感じたのは、「靴選びって、実は私たちの想像以上に大切なのではないか?」ということです。

 

現代の靴がもたらす影響

 

本書では、現代の靴が人間の足本来の機能を制限しているという点が科学的な視点から語られています。言われてみれば、人類は長い間裸足で生活してきました。足もまた、その環境に適応して進化を遂げてきたはずです。

しかし、現代の靴はクッション性やサポート性が非常に高く、私たちは足の筋肉をあまり使わなくても歩けるようになっています。一見すると快適に思えますが、これは足本来の力を衰えさせ、ひいては体全体のバランスを崩す原因にもなりかねない、と本書は警鐘を鳴らしています。

 

注目を集める「ベアフットシューズ」

 

そんな中で特に興味を引かれたのが、「ベアフットシューズ」という、まるで裸足で歩いているかのような感覚を味わえる薄いソールの靴です。足本来の力を取り戻す助けになるというこのシューズは、これまで靴の見た目や値段ばかり気にして選んでいた私にとって、まさに目から鱗でした。

これからは、単にファッションとしてだけでなく、「足」「靴」「健康」の密接なつながりにもっと意識を向けていきたいと思います。